駄目なら駄目で構わない、但し決して許しもしない


「そうか、弁護士になるのか。」
 残念そうな父の声は、決して狭くはない食卓に響いた。
「はい。」
 あくまでも穏やかな兄の声。押しつぶされそうな雰囲気の中ですら揺るがない。それ程に決意が固いという事だろう。
 容易な通過を不可とする試験を難なく合格してしまった兄は、それこそどんな道でも進めた。だからこそ、父は自分と同じ職を選んでくれない兄に憤りを感じるのだろう。
 
「仕方ないわ。霧人は変なところで頑固なんだから。」
 この子は小さい時からそう。笑みを含んだ母の声は諦め混じりだ。
「いいじゃありませんか同じ法曹界ですもの、検事職ではなくたって。」
 父親が口を開けるのが見える。言う事はわかっている。幾度となく繰り返された言葉だ。それ程に、父は兄を評価していたし、自分と同じ道を歩いて欲しかったに違いない。

「じゃあ、僕が検事になるよ。」

 そう告げた響也に視線が集まる。おやおや、まぁまぁ。皆の顔がそう言っていた。道理だ。僕は外で駆け回って遊ぶのが大好きなお子様で、読書で夜明けを迎えるような兄とは対象的。両親は僕が警察官になると良いなどと口にしていた。
「貴方がですか?」
 隣に座っていた兄も驚いた顔で視線を寄越す。うんと頷くと、目を細めて、眉の間に皺が出来た。そうして頭を撫でてくれた。
「大丈夫…でしょうか?」
「大丈夫。」
 にこりと笑うと、溜息と共に家族会議は打ち切られる。司法試験に通ったからと言っても、兄はまだ学生で決定は先の話しだったのだ。
 困った弟だと、家族は笑う。それはそれで普通の幸せな家族だったと今は思う。


「キョウヤ。」
 
 何をしているんですか。
 
「… Excuse me for being late.…but …あれ?」
 日本語…だ?
「あれじゃありませんよ、響也。」
 聞き慣れた呆れた声が、頭の上から降ってきた。駄目だ、まだ頭がよく回らない。
「そもそも、遅刻の言い訳が真っ先に出てくるとはどういう事です? 決められた時間の5分前には仕度が完了していなければならないと、いつも忠告しているでしょう?」
「…。」
「まだ、寝ぼけているのですか?」
「いや、驚いてる……かも。」
 すっと姿勢を正した霧人が下から支える形で箱を持ち、眼鏡越しに見下ろしていた。徐に眼鏡に手をあてると、ブリッジを抑える仕草をする。それが兄の呆れている動作だという事を知っているので、響也は苦笑いを兄に返した。額に手をあてて兄を見上げる。
「私には、寝ぼけているようにしか見えませんがねぇ。」
「うん。どうして、アニキが此処に?」
「缶詰になっている弟の陣中見舞いですよ。全く、人が暮らしている部屋とはとても思えません。私には理解出来ませんね。」
 兄が何の事を言っているのかわからず、気怠い動作で周囲を眺めた。
 ホテルの一室。今まで自分が眠っていたベッドの周囲も、椅子や机周りも丸めた紙屑と空き缶、口の開いた菓子などで足の踏み場もない。壁には数本のギターが立て掛けてある。
 そこで、やっと覚醒してきた頭が、状況を理解させた。
 レコーディングの日程が迫ってきて、どうにも出てこない歌詞を捻り出す為に此処に籠もっていたんだった。出る時は出るけれど、出て来ない時は影も形もない。
決定的な証拠品とそれはよく似ていると響也は思った。
「うん。忙しいのにわざわざありがとう、アニキ。」
 未だに兄の手にあるケーキの箱に向かって腕を差しだす。やれやれ、そう告げるよく見る表情で掌にそれは乗せられた。ドライアイスが入っているだろう箱はひんやりとしていて、目覚めてすぐの身体には心地良かった。頬ずりをして、心地良さに目を閉じる。
 反対側の頬に、兄の指があてられて響也は目を開けた。
鏡を見ているようによく似ていると言われる兄は、少し眉を潜めて見つめている。こうやって見ていれば、違うところなど山程見つけられるというのに、自分達は良く似た兄弟なんだろうか。
「これだけ暴飲暴食をしていて、頬がこけているのが不思議ですよ。」
「そうかい? ファンの女の子に泣かれちゃうな。」
「貴方はいつでもそうですね。」
 呆れた表情に変わった霧人は、未だにベッドに寝転がったままの弟の手からケーキの箱を取り返した。


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